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テノール|大西貴浩 お知らせ
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和響 テノール×津軽三味線 @芳とも庵

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4/19に初の試みとなる津軽三味線の福居一岳くんとのコンサートが無事に終わりました。正午、午後ともに満員のお客様にお越しいただき、誠にありがとうございました。

今回のコンサートをやるにあたり、津軽三味線奏者の福居くんには、声楽曲を三味線の伴奏に直してもらうという無理難題をお願いしたにもかかわらず、期待以上の作品に仕上げていただいたことに感謝して止みません。

また、「生粉手打ち蕎麦 芳とも庵」の店主・芳賀さんの津軽蕎麦も大変に評判がよく、初めて食べていただいたお客様にも大変喜ばれました。おいしいお蕎麦で会場を盛り上げてくれた芳賀さんにも感謝です。津軽蕎麦は、大豆のお汁で蕎麦を打ち、ひと晩寝かせたものを提供するという、変わったお蕎麦です。固めのしっかりした麺でのどごしがよいのも特徴です。お蕎麦が好きな方は、ぜひ来店してみてください。

津軽三味線とテノールという、一見、不調和にも思える組み合わせですが、思った以上に相性がよく、まだまだ進化させていくことができるという手応えを得ることができました。お客様の反応も想像以上によかったです。次回に向けて、どんなことができるのか、もっともっと内容を練っていこうと福居くんとも話しています。これからもこのコンビで新しいことに挑戦していこうと思いますので、皆様、ぜひご声援ください。

熊野本宮大社で歌を奉納しました。

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12/7から12/9にかけて、和歌山県の熊野に足を運びました。今回の熊野行きのメインイベントは、夢にまで見た、熊野本宮大社での奉納演奏でした。

今回、熊野をご案内いただいたのは、わたしが小学生のときに飛ばした風船を拾って手紙をくれた羽根さんでした。そして、これだけはどうしてもとお願いし、熊野三山弾丸ツアーを決行。初日は、午後に新宮駅に到着するなり、那智の滝をご神体とする熊野那智大社へ。その滝のパワーはすごいものがありました。ひんやりとした空気に身を清められるようでした。

2日目は、午前中に熊野速玉大社とその摂社である神倉神社へ。神倉神社は断崖絶壁の上にあり、538段の階段、それも、壁と言っても過言ではないほど急な階段を上らなくてはなりません。頂上にご神体のゴトビキ岩が鎮座し、頂上からは新宮市が一望できて最高の見晴らしでした。毎年2月にはこの急な階段を駆け下りる御燈祭りが行われるそうです。その日は女人禁制で、朝から白いものしか食べては行けないそうです。

そして、午後からは本宮中学校にコンサートに訪れました。木をたくさん使った校舎はとてもレトロで、といってもまだ新しいそうですが、ロッジ風で学校とは思えない瀟洒な建物でした。そして、この日の伴奏は音楽の大岡先生にお願いし、「赤とんぼ」や「待ちぼうけ」など数曲、そして、この日のために作詞した「黄色い風船」を初披露しました。羽根さん夫妻がとても喜んでくれたのがなによりうれしかったです。そして、最後に生徒たちが合唱コンクールでうたったという天空の城ラピュタの主題歌「君をのせて」をみんなでうたいました。

その後、念願の大斎原(おおゆのはら)に降り立ちました。昔、本宮大社があった場所です。洪水の被害によりいまの場所に遷座し、今年が正遷座120周年だそうです。熊野は『再生の地』と言われています。大斎原に立ち、翌日の奉納演奏に向けて魂を一度リセットしたようなそんな気分になりました。

3日目、待ちに待った奉納演奏でした。10時より正式参拝が始まり、祭儀が終わってから演奏を始めました。この日のためにハープ奏者の渡邊真位さんが伴奏に駆けつけてくださり、「荒城の月」「くちなし」「小さな空」「Stand Alone」の4曲をとどこおりなく奉納させていただきました。歌っているとき、いままでこういう経験はなかったのですが、実際にはその場所にいないたくさんの友人・知人が背後から見守っていてくれるのが見え(見えるというのもおかしな表現ですが)、自分ひとりで生きているのではなく、多くの人に支えられて生きているのだなということを改めて実感いたしました。そして、改めて自分に関わる全ての人、物に感謝をせずにはいられませんでした。

演奏を終えた後、不在でいらした九鬼宮司のかわりに奉納證をくださった権禰宜の藤井さんに、「次はもっと大きな舞台を用意してお待ちしています」とありがたいお言葉をいただき、またここに戻ってくる決意をいたしました。

この奉納演奏の実現に至るまで、風船を拾って手紙をくださった羽根夫妻、奉納演奏の伴奏に駆けつけてくださった渡邊氏、熊野本宮大社の権禰宜中平氏、本宮中学校で伴奏をしてくださった大岡先生、香川県から演奏を聴きに来てくださった小学校時の担任の香川先生、そして、手紙を大切に保管してくれていた両親をはじめ、ほんとうにたくさんの方々にご協力いただきました。心よりお礼申し上げます。

市川市立市川小学校140周年式典

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10/25(土)に、市川市立市川小学校140周年式典で、文部省歌の「ふるさと」と校歌を歌わせていただきました。

前回、校歌の指導に訪れた際、子どもたちに「心を込めて歌を練習できた人から、このハートに自分の名前を書いて先生に渡してね」と、担任の先生にお願いしてハートの形の紙をひとり1枚ずつ渡しておいてもらいました。式当日、そのハートがどうなったかを楽しみに学校に行くと、630人分の小さなハートが貼り合わされた大きなハートが、体育館の壇上に飾られているではないですか!この式典を取り仕切っている教頭先生も、こんなに大きなハートができたんだよ!と大興奮で見せてくださいました。そして、式で子どもたちが大きな声で校歌を歌っているのを見たとき、みんな一生懸命練習してこのハートに名前を書いたんだなと思うと、胸が熱くなりました。

式典の後、学年ごとに歌やお芝居の発表がありました。子どもたちの生き生きとした笑顔とともに、頑張って練習している姿が目に浮かび、どの学年の発表にも心をうたれ、何度も涙を流してしまいました。子どもたちのこの純粋さと素直さが、いつまでも失われないことを祈るばかりです。

最後にPTAの方たちを交えて先生方とお話しさせていただきました。そして、この双方のチームワークの良さが140周年イベントをうまくいかせたのだということもわかりました。こんなに温かい先生方と親御さんのもとで育てられている市川小学校の子どもたちは、本当に幸せだと思いました。これからも、市川小学校が子どもたちにとって良き場所であり続けることを心よりお祈り申し上げます。

熊野からの吉報!

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小学1年生のときに、クラスで「風船のたび」というダンスを踊り、みんなで手紙をつけた風船を空に放ちました。ぼくの風船は和歌山の熊野に届いたらしく、なんと、それを拾ってくださった方からお便りが届きました。

それから30年、思い立ったようにその手紙を引っ張り出してインターネットでお名前を検索してみたところ、その方の記事が載っているページを奇跡的に発見しました。そして、その記事を掲載していた新聞社の方にご協力いただき、連絡先を知ることができたのです。

8月に、その方と電話でお話ししました。30年経ってやっとありがとうございましたと伝えることができて、感無量でした。先方もそのことを覚えていてくれたようで、とても喜んでくれました。

そして、なんと、その方が9月22日のコンサートに来てくださいました。30年越しに会うことができ、本当に感動しました。しかし、感動はそれだけではありませんでした。つい先日、その方から、熊野大社で歌を奉納できることになりましたよ、と連絡がありました!

熊野大社で歌の奉納とかできるんですかね、とお茶を飲みながら何気なく話したことを覚えていてくれ、話をつけてくれたのです!一瞬、固まりました。そして、鳥肌が立ちました。正遷座120周年、熊野古道世界遺産登録10周年の記念すべき年に、熊野大社に歌を奉納できる喜びは筆舌に尽くしがたいものがあります。数日が経ちましたが、興奮が冷めやりません。来たる12/9に奉納いたします。わたしの人生において、特別な日となるでしょう。