5/23。最後の朝、部屋でゆっくり出かける用意をしていると部屋の電話が鳴りました。まだチェックアウトにはまだ早い時間なのになにごとかと電話に出ると、「宮司が1時間前からロビーで待っています、みんなには知らせるなとのことだったのだけれどお伝えしておきますね。電話があったことはくれぐれも内密に…」とフロントから電話。そろそろ部屋を出ようとしていた頃でしたので、そのままロビーに降りていくと、本を読みながら後藤宮司が待っていてくださいました。お見送りをしようと思って、と笑顔の宮司。宮司の笑顔はとっても素敵です、本当にかわいらしい(こんなことを言っては失礼ですが…笑)。普段のまじめな顔とのギャップがすごいのなんの。高千穂でいちばん印象に残っているのは、雲海でも峡谷でも神社でもなく、この宮司の笑顔だといっても過言ではありません。私は後藤宮司のファンになってしまいました。今回、後藤宮司を紹介してくださった書家の渡邊エミさんも、「宮司って玉三郎に似てるのよね」とおっしゃっていましたが、今となっては合点がいきます。
その渡邊エミさんと、ご主人の紙すき職人である渡邊敬三さんは、和紙の工房「工房かかし」を営んでいます。数年前に京王百貨店の催事に出店しているおふたりと知り合いました。そして、昨年、高千穂神社に私のことを紹介してくださったのが、この渡邊さんご夫妻でした。渡部さんご夫妻も高千穂神社や伊勢神宮などたくさんの神社に紙を奉納しているそうです。「大西さんなら大丈夫だ、紹介してあげるよ」と快く高千穂神社の後藤宮司をご紹介くださり、今回の奉納へと繋がりました。
毎年、催事にやってくるお二人を訪ねていましたが、ここ2回ほどは、体調を崩してしまった敬三さんとはお会いできていませんでした。しかし、高千穂に行く前日にちょうど開催されていた催事に顔を出すと、今年はいつもの元気な敬三さんがいらっしゃっているではありませんか!神様のお計らいだとしか思えませんでした。ふたりの笑顔に見送られて高千穂に行けたことを、心から嬉しく思います。そして、今年も半紙を購入しました。どんな作品ができあがるのか楽しみでなりません。
さて、高千穂に話を戻します。せっかくでしたので、後藤宮司を朝ご飯にお誘いしました。近くの喫茶店で野菜カレーを食べました。そこには秋元神社の御神水で淹れたコーヒーがありました。そして、その秋元神社も後藤宮司が宮司をなさっている神社だそうです。ご飯の後で訪れましたが、ぐるっと岩盤に囲まれて樹々に覆われ、まるで自然の吹き抜けのようになっている素晴らしい場所でした。
いま、地震の影響で高千穂への観光客も減っているとのだそうです。しかし、観光客が減っているいまだからこそできることをやらなければならない、そのための時間を与えられたのだと、とても前向きに後藤宮司はおっしゃっていました。辛いことは、考えるより先に動く。そういった言葉の数々に宮司の強さも垣間みることができました。
また、私のCDに収録された「荒城の月」を聴いてくださったようで、「いままでどの荒城の月も自分のイメージにしっくりこなかったけど、大西さんのはイメージそのものでした」とおっしゃってくださったことがとても嬉しかったです(「荒城の月」のモデルと言われている大分県竹田市の岡城跡は高千穂からも近いのだそう)。これからも精進していかなければならないと改めて思わされた旅でした。
来年も必ず戻ってくる、と心に誓いました。
終わり